山行・旅

甲斐の国の自然と民家を訪ねて  平成23年5月1日    

 日々、緑を扱う仕事をしていながらも、久しく山歩きから遠ざかっていると、「山が呼ぶ」声を本当に実感します。
 居ても立っても居られないほど、山が「こっちに来い」と呼ぶ声が聞こえるのです。

 当社の今年の連休は、本日までの3日間のみとなります。
 わずかな休暇を用いて、今年は甲斐の国、塩山周辺を歩きに行きました。

 

 ここは、奥秩父の深い森を水源とする笛吹川源流部、西沢渓谷です。
 花崗岩の岩間からの湧水を集めて流れる渓流の清水はエメラルドグリーンの輝きを放ちます。

 標高1100m超のこの渓谷沿いには、ミズナラやイヌブナ、オノオレカンバやサワグルミ、バッコヤナギやホソエカエデなどの落葉樹の中、コメツガやシラビソ、そしてサワラなどの常緑針葉樹が混在する明るく変化ある林相が見られます。
 左側の常緑樹は、広葉樹としては原始的な特徴を有するヤマグルマ、そして下層の常緑樹は奥秩父の山々に広く分布するシャクナゲです。

 豊富な源流が勢いよく流れ落ちる西沢渓谷には、見ごたえのある美しく雄大な滝がたくさん見られます。
 そのなかでも最も有名な滝がこの、七ツ釜五段の滝です。

 エメラルドグリーンに輝く水釜に白くしぶきを上げて落ちる滝の表情が幻想的な美しさを見せていました。

 山の中に、トロッコの軌道が所々に残ります。西沢渓谷周辺の山々に今も残る軌道は、昭和30年代まで、木材搬出やこの近くの山で採掘された珪石(ガラスなどの原料)搬出のためなどに利用されていたようです。
 それがやがて、道路が整備されて自動車輸送に変わり、昭和43年、トロッコ軌道としての役割に終止符が打たれました。

 往時を偲ぶために山中に残された、木材を積んだトロッコ。山中への上りはトロッコ2台ずつ馬で引き上げ、そして荷物を積んでの下りは自然勾配をブレーキだけで下ろしていきます。
 山中の急斜面での作業のため、事故や災害も日常茶飯事だったようです。
 このトロッコ軌道跡を辿って、この日は山を降りました。

 そして翌日、塩山の霊峰、乾徳山に登るべく、大平高原の牧場跡を出立します。カラマツの木立と草原の風景に、往時の楽園を想像させられます。

 標高2000m近くまで登ると、奥秩父独特の苔むした暗く深い森の中に入り込みます。

 厳しい高山の森は、所々で立ち枯れの木々が集団で見られます。
 縞枯れ現象と言って、帯状に木々が枯れてゆき、そしてそのあとにシラカバやダケカンバ、ミズナラのような、成長が早く、日光の届くところでしか生育できない落葉高木が一斉に育ちます。
 厳しい環境ゆえの縞枯れ現象が、高山の森の多様性を生み出していると言えるかもしれません。
 これは、立ち枯れたまま年月を経て、白骨のようになったコメツガの枯れ木です。下に大きな岩があるため、それを抱くように太く根を伸ばしていました。
 どこまでが幹でどこからが根なのか、分かりません。流れるような曲線がとても美しく、与えられた環境で強く生き抜こうとする生命の神秘を感じます。

 乾徳山山頂にて。険しい岩山です。黄砂の影響で遠くが霞んで見えますが、360度の大パノラマが展開します。
 かつては修験道の行者修行の山で、女人禁制の時代もあったようです。人を寄せ付けない岩山の神々しさを畏れ敬い、そこに神を感じたかつての日本人の美しい心をはるか仰ぎ見る気がします。

 下山して、麓の古民家を訪ねて廻ります。ここは塩山駅の近く、旧高野邸(国指定重要文化財)です。江戸時代、薬用植物である甘草(カンゾウ)を栽培して幕府に収めていたことから、甘草屋敷と呼ばれます。
 この古民家は、甲州地方独自の養蚕農家の特徴が顕著に見られます。
切妻屋根の南面中央部に、2段に突き上げたような屋根が見られます。これは、屋根裏のカイコ部屋への、採光のための窓を配するために、このような形状となったようです。
 お米のとれない甲州の山村では、カイコ飼育が大切な収入源でした。
 地元の人の話では、当時カイコは「おカイコさん」とか「おカイコさま」とか呼んで、とても大切に育てられていたそうです。
 山村の暮らしを支える養蚕が、その地域の民家の姿をつくり上げてきたというこが感じられます。

甘草屋敷の妻側。こちらにも上部にカイコ部屋の明かり取りのための引き戸の窓が見られます。そして、大きな切妻壁の棟持ち柱(むなもちばしら)や、貫板(ぬきいた)を装飾的に壁面に見せる美しい模様が、この地域の民家の大きな特徴となります。

 甘草屋敷の敷地に残るこの小屋は、地実棚(じみだな)と言います。柿や大根などを干すための棚で、南側の屋根を浅くして、棚に日差しが取り込めるように工夫されています。
 塩山周辺の切妻民家には必ずと言ってよいほど、この地実棚があったと言います。
 これもこの土地の特徴的な小屋の形態です。

 

 切妻屋根にカイコ部屋の明かり取りとなる突き上げ屋根の窓、そして妻側の窓といったこの地域独特の建物は、この塩山周辺にいまもなお点在しています。
 これは塩山の北、乾徳山山麓の徳和集落に残る旧坂本邸です。

突き上げ屋根の代わりに棟違いの屋根を設けた意匠も見られます。

棟違い屋根の切妻側にそれぞれ屋根裏部屋の明かり取り窓を設けたものもあります。

 これも徳和集落の民家ですが、屋根裏のカイコ部屋ではなく、人の居住スペースとしての2階窓です。明かりとりとしての越し屋根が乗り、そして二階外壁には、見せ貫(切妻側の壁に意匠として水平の貫板を見せる)の意匠が見られます。
 もともとこの家は養蚕農家ではないのでしょうが、それでもなお、地域の建築文化として、養蚕民家の特徴が、家屋外観の意匠の中に受け継がれているようです。
 これが故郷の景色、地域の風景というものでしょう。地域の風景はその土地の暮らしと自然と歴史と文化が育みます。
 
 今のハウスメーカーの住宅は、こうした地域文化に関係なく、全国どこでも、その会社の製品としての家屋を、まるで金太郎飴のごとく量産しています。
 商品シェアとしての売り上げ競争の中で量産される住まい、これで果たして、いつまで美しい日本の風景が残るでしょうか。
 私たちが子孫に伝えてゆくべき大切なものが、合理化と工業化一辺倒の経済至上主義の中で踏みつぶされてゆくことに歯止めをかけねばなりません。

これは、甲斐の国、武田信玄のお墓がある、恵林寺の本堂、切妻側の意匠です。やはり、この土地独特の養蚕農家造りの装飾化を感じさせられます。

 旅の締めくくりは、檜皮葺き屋根が美しい大善寺です。葡萄の里、勝沼です。
 鎌倉時代前半に建立されたこの薬師堂は、関東最古の遺構として、国宝に指定されています。
 開山の行基菩薩がこの地で修行していた際、夢の中に右手に葡萄を持った薬師如来が現れたと伝えられます。
 夢の中に現れた薬師如来のお姿を刻んで安置し、このお寺を開山したのです。そして当時は貧しい山村の人々に葡萄の栽培を教えたのが、甲州葡萄の始まりと言われます。

 つまり、ここが甲州葡萄発祥の地ということになります。昔話の真偽を詮索するのはナンセンスです。とにかく、仏教伝来とともに大陸から伝わった葡萄が、何かのご縁があってこの土地に伝わり、、そして今もこの地の主要な産物であり続けているのです。

 この旅の感動、お話したいことはまだまだ山ほどありますが、明日からまたノンストップの仕事のため、この辺にしておきます。

株式会社高田造園設計事務所様

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