忍性菩薩の足跡 平成23年10月30日
ここは筑波山系の一角に位置する宝篋山の山頂です。山頂に、関東最古のとても美しい宝篋印塔(ほうきょういんとう)が安置されています。
宝篋山という山の名称も、鎌倉時代中期に建立されたこの仏塔に由来します。
とても美しい宝篋印塔です。
鎌倉時代中期、真言律宗の総本山、奈良西大寺の高僧、忍性(にんしょう)によって、この地に建立されました。
大和の国(奈良県)に生まれた忍性は、西大寺中興の祖、叡尊に導かれて出家します。
出家後、忍性は、当時の社会で非人とされて疎外されていたハンセン病患者や身体障害者などの弱者救済のために身を投げ打って活動します。
当時、こうした非人の住む場所を非人宿と言いましたが、忍性は非人宿の障害者たちを背負って、毎日市場まで送り迎えしていたと言います。
忍性は、弱者救済のために西大寺流真言律宗の戒律を広めるべく、関東に下向し、あちこちでその象徴たる美しい仏塔を作り、後世へとそれらを残していきました。
これらが後世まで、弱い人々を救う信仰の拠り所となることを祈ったのでしょう。そして今に残る忍性の仏塔、その一つが、この宝篋印塔です。
筑波の空に凛と佇む忍性の宝篋印塔。建立されて800年近い年月を経た美しい仏塔。そして今、この塔の前に佇みます。
忍性菩薩の心を偲び、常陸の大地を吹き抜ける静かな風を感じます。そこにかすかに太古の匂いを感じ取り、心を洗います。
神仏を尊び、そして人々のために無心に尽くした人の心を偲び、後世の人たちはそんな人を尊称して菩薩と呼びます。
年齢を経て、様々な人の美しい心に接して生きてゆくにつれて、心というものは純化されるものなのでしょうか。少しずつ、人の心の中の菩薩が見えてくるような気がします。私の周りにも、尊敬すべき菩薩様が幾人も存在します。
心を純化させて、そして菩薩に近づきたい、大地への愛、人への愛、そんな思いを感じさせてくれるのも、身近な菩薩への想いのように感じます。
いつの時代も社会の歯車は回転始めたら止まりません。原発しかり、自然の収奪もしかりです。そういう私ももちろん、社会の歯車の一員です。詫びても詫びても詫びきれない人間です。
生き方を変えねばならない。大切なことを思い出そう。
800年の間、変わることなく佇む宝篋印塔がそんなことを語りかけてくれたように感じました。