謹賀新年 京都より 平成23年1月5日
祇園町、早朝の白川にゴイサギが1羽。
清らかな光景に心を洗います。
様々なことが重なった卯の年が明けて、また新たな1年が始まりました。
1年間の心身の疲れと心に降り積もった垢を洗い流すべく、今年の正月も旅路でのスタートです。
重要伝統的建築物群保存地区、町屋連なる祇園の町並み。何度訪れても、美しく完成された町屋の数々と、完璧なまでの街の美しさに見とれます。
密集して軒を連ねる町屋の造りは、住まいのプライベートの保持と落ち着き、そして外観の美しさを見事なまでに兼ね備えています。
密集した町屋の庭は、これぞ猫の額というべき、僅かな空間。
そのわずか数坪の庭から、通りに大きく張り出して活かされる庭の大木がのびのびと、そしていきいきと、街の上空に枝を広げています。
住まう人の心のゆとりと感性の賜物と言えるでしょう。狭い庭に共存する大木。そして街の風景との共存。
祇園の町屋の美しさは、こうした住み人の感性が繋いでいくようです。
比叡山の麓、広大な鎮守の森に囲まれて佇む日吉大社西本宮の本殿。
日吉大社の鎮守の森。杉やモミなどの大木の下に豊かな森が形成されています。
樹高30mから40mを越える大木を有する森は、生態的にも樹種的にも、そして森林空間の階層的にも、格段に豊かな様相を見せます。
これほどの森が生み出されるまでには、最低限およそ150年から200年程度の時間を要すのではないかと思います。
自立した森、豊かな命育む森は、ここまで深まらないと生まれません。
そして凍てついた雪の中、比叡山根本中堂に向かいます。
16年ぶりに訪れた比叡山根本中堂。
織田信長による比叡山焼き討ちの後の再建ですが、日本仏教の中心的な最高道場であり続けたこの堂宇には、他では決して得られない重厚な何かを感じ、自己の中に大きくずっしりとかぶさってくるのを感じます。
天台宗の祖、伝教大師最澄の言葉、山家学生式(さんげがくしょうしき)に再び出会います。
「国宝とは何ものぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名付けて国宝と為す。
一隅を照らす、これすなわち国宝なり。」
20代半ばの時分、熱い決意と共に、石に刻まれたこの言葉を書き写し、清書して、一人暮らしの部屋に飾ったのも、ずいぶん昔のことのように感じます。
そして今、最澄が開いた比叡山で再びこの言葉に向き合います。
岐路の日本、今、どのような心構えで生きてゆくべきか。
地道に、そして確かな歩みを今年も修めていきたいと思います。
良き年になりますように。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。