水と風のふるさと紀行 黒部源流の旅(その2) 平成27年8月12日
満天の星が降り注ぐ夜明け前に太郎平の山小屋を出立し、稜線上を歩きながら、おごそかな夜明けを迎えます。
日々平等に繰り返される新しい一日の始まりというものが、これほどまでに静かで荘厳なものだということも、忙しない日常の暮らしの中ではついぞ忘れてしまっているということに気づきます。
真夏といえども3000m近い稜線上は肌寒く、静かで、雲も小鳥たちもそして風にわずかに揺れてざわめく草も木も、世界の全てが夜明け前のこの、神秘的な時間をかたずをのんで見守っているようです。
夜の間に谷間に帰って静かな雲海の眠りについていた雲たちも、夜明けの足音を敏感にかぎつけて、ざわざわと動き始めるのです。
遠くの空では、日の出の瞬間を今か今かと待ちきれないかのように背を伸ばした雲の先端が、生まれたばかりの今日の朝日をいち早く浴びて、ピンク色に染まります。
そして太陽が奏でるリズムのもと、それまで眠っていたように静かだった雲はむくむくと起き上って、人間や多くの生き物たちと同じように、一日の活動を始めるのです。
これが3000mの高山、天上の世界の日常です。
地球上のいのちをつかさどって指揮するのは太陽の仕事、その熱が空気を引き揚げて動かし、そしてすべてを流れるが如く調和のリズムで回転させていき、まるでオーケストラのようにいのちの謳歌を奏でるのです。
稜線の向こうから今日の太陽が顔を出しました。日に向けて、合掌します。
ありがとう、これからも、、ずっと。
山上の夜明けを目の当たりにする人たちはここで、一人の人間という、この地に生かされる存在に戻るのです。
今日の朝日に手を合わせて向かい合う中、7年くらい前に通っていた吉野山金峯山寺の山岳修行を思い起こします。
朝3時に麓のお寺を出立して山岳を回峰し、そして日の出を迎えて手を合わせ、お経を行じ、今日の恵みに感謝し、力を頂く。人はその心持ちを忘れてはならない、人が人であるために。
そんなことに改めて気づかされます。
朝の光が草原を静かにきらめかせて、限りないいのちの美しさに見とれます。夜露に濡れた草花たちの輝き。なんという美しさ。
夜の間、冷えた上空の空気の重さに押されるように、空気中の水たちは、その多くは大地に帰っていき、空気と共に土のしとねに潜り込んで眠りにつきます。
そしてその一部は大地に潜り込むことなく、昼夜の温度変化の少ない草や枝、谷間に潜んでそこで気体が液体となり、そして眠りにつくのです。
山上の雲は夜の間谷間で眠り、そして草葉の上で水滴となってまた一夜、安らかな夜の眠りにつくのでしょう。
朝の日差しが地表を温めはじめると、谷間で眠っていたような雲たちも、にわかに一日の活動を始めるかのように動き始めます。
それと同時に、地中に潜って眠りについていた空気もまた、地上に湧き出して、しっとりした心地よい土の香り漂うそよ風となって移動していきます。
地中と地上の空気と水は、こうして行き来しつつ、いのちの世界の営みを育み続けてきたのでしょう。
そして、夜の間静かに眠っていた谷間の雲は、日差しを浴びてまるで渡り鳥のように足早に移動を始めるのです。
これが自然の姿です。
すべての生きとし生けるものたちを息づかせて動かす水と空気は、太陽の指揮の下で空と大地、地上と地中を日常的に行き来して浄化され、一日一日が新たな営みとして再生されてきたのです。それこそが、地球の営みであり、いのちの営みと言えるのでしょう。
こんな世界を久しぶりに目の当たりにすると、子供のころの夏の記憶が思い出されます。
もう、40年近く前のことですが、今もその頃の身近な自然の営みがありありと鮮やかに浮かびます。
キジバトの声の下、澄んだ朝日を浴びて動き出す爽快な空気、草場の夜露に濡れながら夜明け前から友達と待ち合わせて虫捕りに熱中した夏休みの日々、夕方の虫の音、そして静かで涼しい夜の褥に、昼間のにぎやかな虫たちも鳥たちも共に眠りにつく実感、そんなものが身体の記憶として自分の細胞に刻まれていることに気づきます。
コンクリートに覆われて、そしてエアコンの廃熱が地表を覆う人工環境の中、空気と水はどこで安らかな眠りにつけるのだろうか、そんなことを考えて重く沈みそうな心を、山の爽やかな空気がやさしく慰めてくれます。
固く傷んで命を失った大地はもはや、空気と水が日々帰るべき安らぎの家とはなりえないのです。
都会の夜の空気と水は、帰るべき家を失ってさまよう人のように地表に停滞し、そして疲れて淀んだ朝を迎えてなお動かぬ、湿度の高い不快なモヤがコンクリート世界を漂います。
大人が作ってしまったそんな環境の中に生きることを強いられる多くの子供たちを救いたい、そんな想いに体が熱くみなぎります。
都会の空気と水が人の心の原風景の中で当たり前になってしまえば、何を基準に正しい判断がなせるというのでしょう。
山で迎える夜明けは今も新鮮で美しく、人として、自然として、あるべき摂理を語りかけてくれます。そしてそれは、自分が人間である以前の記憶をも思い起こさせてくれるように感じます。
人間である以前の記憶が活きている限り、こんな時代でも人は道を修正できる、いのちが共に輝く世界を再生できる、そんなことをこの日、山が教えてくれたのです。
さて、爽やかな山の空気を感じながら、黒部川のふるさとを目指して歩き続けます。
今日はここまでにして、そしてまた、旅紀行その3に続きますので、次回も是非、根気よくお読みいただければうれしいです。
日々の忙しさを離れて束の間の長期休暇です。こんな時間が誰にでも必要なのでしょう。心と体を解放させてあげて欲しいと願います。そしてそこから聞こえてくる、自分の
真実の声に耳を傾けること、それが人が良く生きるための大切なことだと感じます。