吉野山の荒廃と環境再生 平成29年9月10日
世界遺産、紀伊産地の霊場と参詣道の中核の地、吉野山での桜植樹地の一角、太閤花見塚にて、継続的に実施させていただいている環境改善指導、最初にここを訪れたのが昨年の三月のことでしたので、あれから一年半が経過したことになります。
この一年半の間、私たちははるばる千葉から5回ほど、環境の改善作業とその現地指導のために訪れましたが、ずいぶんと桜の状態、土壌や地表の状態も雰囲気も、健全な状態へと改善されつつあることを、ようやく、参加される皆さんに、それを感じていただけるまでになりました。
ここは、大和ハウス工業株式会社CSRによって、10年ほど前から桜植樹・育樹に取り組まれてきました。
世界遺産であり、役行者が開いた山岳修験道発祥の地、その価値を未来に繋ごうと、地元の関連団体方々やダイワハウス社員の有志によって、この10年間、尊い労力が注がれてきました。
それでいながら、桜は衰弱し、環境は悪化するばかり、ダイワハウスCSR担当の内田さんの依頼で私が最初にこの地を訪ねたときは、植えられた桜は精気なく樹皮は荒れて枝枯れを繰り返し、地面は表土がむき出しで流亡し、カチカチの地面にはススキばかりが時期によって人の背丈以上にはびこる、そんな荒れ地となり果てていたのでした。
そんな時、昨年三月に吉野林業研究会が主催した私の講演会に参加されたのが、ダイワハウス入社以来一貫して吉野でのCSR活動を担当してきた内田さんでした。
その後彼は、それまでこのプロジェクトを指導してきた樹木医や地元桜守の方々を説得してくれて、私たちが、この地の根本的な環境の再生に取り組む足場を作ってくれたのでした。
今回、先日の吉野山花見塚環境再生ワークショップ指導の様子を、以下にご紹介させていただきながら、今の環境劣化の問題の根本を、少しでもお伝えできればと思います。
この日は、ダイワハウス社員によるボランティア参加の有志方々、このプロジェクトに終始ご協力くださる地元の吉野桜保勝会の方々、そして近辺から加勢に来てくれた造園仲間たち、心ある方々延べ50人以上が、この吉野山の山中に集いました。
植樹地の環境は、この一年半で見違えるほど、改善されつつあります。以前は赤土がむき出しだった地表は今やすべてが草に覆われ、夏の木陰も1年前に比べて格段に広がり、優しい光景に変わりつつあります。
桜を健康にするために、環境全体を健全に育ててゆく、それが私たちの環境再生の視点であります。
植えられた桜の健康回復のためには、その土地の自然環境が健全でなければなりません。
自然界は、植物動物菌類微生物、すべてが繋がって、まるで人間の体と同様に、いのちの連携の中で健康を維持し、バランスを保ち、いのちが共存し、安定してゆくわけですので、周辺環境の健全性に目を向けずに、目先のマイナス要因を排除してただ単に桜だけを健康に育てようとする、現代の発想自体が全く間違っている、と言わざるを得ません。
そんな人間中心の視点では、決して環境は良くならない、そして人間も、悪化する環境の中でさらに自然と一体の感覚を鈍らせてしまう、そんな現状に早く気づいて、そして改めていかねばなりません。
植樹地の環境改善作業は、土地を育てる草刈りから始まります。
ススキなど、荒れ地に優先する草の先端を刈りはらうことで細かな根を出させるのです。それによって表土の通気浸透性が改善されて、土中生物環境が自ずと改善されていきます。
そして、実生で自然に芽生えてきた他の草木は刈らずに残し、ススキが役割を終えて消えてゆく際に、次のステージの担い手となる新たな植生を育むのです。
大地の健康を守る皮膚のような役割が地表の草本地衣類なのであって、草刈りは本来、 人間都合で不要に思える草を排除するために行うのではなく、人間の関与する土地において、大地を守り育てるために行うもの、そんな、本来当たり前の造作を意味を今、我々は思い起こさねばなりません。
ベンチ廻りの表土が硬化しやすい場所にわずかな溝を掘って、大地の通気性、浸透性を改善していきます。
そしてその溝に炭を埋め込み、表土安定の起点としていきます。
表土環境の改善後、表土全体に炭燻炭を撒いていきます。
毎回参加くださるダイワハウスの美しい女性陣。
吉野在住の同業の友人、風人園の大西さん。僕が吉野で活動させていただけるのは、彼のおかげといっても過言ではありません。
本質的な部分から吉野の環境を再生し、そしてそれによって、自然環境の中での人のあり方を世に伝えていきたい、そんな想いを共有し、この活動を終始献身的に支えてくれる彼には全く頭が上がりません。
無私の想いと世のための発心は当然のこと、そしてその想いが現実の中で実現してゆくためには想いを同じくする同士がどうしても必要なのでしょう。
私にとって、彼なくして吉野での活動はありえず、本当に、天と地と人、彼と会うたびに感謝の思いが溢れます。そして、そんな体感が、人生を豊かに潤してくれるように思います。
植樹改善フィールドに至る山道の環境改善整備も、重要な仕事です。環境はつながっておりますので、ただ単に自分たちが与えられたフィールドだけに目を向けるのではなく、周辺環境含めてよい状態を保つことができるように、目を向け心を向ける必要があるのです。
そして改善後の山道にも炭燻炭を撒きます。
改善後の道は安定感が増して見違えるほど心地よく輝きます。
環境はつながっている、それは人にも言えること、自分だけの幸せや満足はありえず、すべてのいのちの共存と幸せのために働くこと、行動すること、そんな、他の動物や植物たちが当たり前にできることを、現代の私たちもできるようにならないといけません。
私がこの吉野山で、半ばボランティアで私財を費やして、その環境再生に努めているのには、理由があります。
人は、真剣に、そして命の声に忠実に生きようとすればするほど、たくさんの壁を前に葛藤するものではないかと思います。
吉野金峯山寺では、1200年来、市井の人たち、在家の民の山岳回峰修行を一貫して受け入れてきました。
そしてそこには、人生に行き詰まり、あるいは葛藤し、あるいは罪の重圧にさいなまれ、自ら命の再生、生まれ変わりを望む人たちが今も、たくさんこの地を訪れ、山岳回峰行を通して、大いなる自然の声に耳を傾け、真実に立ち返ろうとするのです。
太古より、吉野山はそんな地であったのでしょう。そして、千年以上の月日の中で、そこにあったのは、自然への畏敬の念と自然回帰への祈りであり、そしてすべてのいのちのつながりに対する悟りと喜び、そんなものがこの吉野の霊場を今に伝えてきたのでしょう。
私自身、10年ほど前からこの吉野山に通い始め、そして、自分の傷んだ心、罪の意識に押しつぶされそうだった自分の魂を、ここでの山岳回峰行の中で再生していった、そんな思いがあるのです。ある意味、この、日本のまほろばの地で魂の再生を感じ、そして今の自分があるのです。
そうした意味でここは私にとっても魂の故郷であると同時に、これまで、そして今もたくさんの人の魂の故郷であったのです。心の拠り所、それが我々の子孫永劫に、保たれてゆくことが、今を生きる私たちの重要な役割ではないかと思います。
自然の中で人のあり方を体得し、そして自分を再生していのちの源と一体になる、そんなあり方を伝えてきた、その一つにこの、吉野山の山岳修験道があるのです。
昨年の正月、息子を連れて参詣道を歩いた際、信じがたい光景を目の当たりにしたのです。
写真は、参詣道入り口にあたる、修行門からの景です。
私が山岳修行に参加していた頃、この辺りは大木生い茂る、山岳回峰修験道場の入り口にふさわしい霊気を感じさせてくれていた、そんな大木までもが伐採されて、そしてまばらに桜が植えられた、いのちに対して微塵の敬意も愛情もない、そんな光景に唖然とし、そしてその時、この地で自分が動かないといけない、そう発心したのでした。
参詣道沿いに吉野山の観光の目玉である桜を増やす、そのために、今ある木々を伐り払い、すべてを排除して人間の都合のみで桜だけを育てようとする、そんなことを自然が受け入れるはずがありません。
こうした人間の愚かさに対して、シカをはじめ野生動物たちはいっせいに攻撃を始めるのです。
シカが人間にとって不利益な行動を示したとき、現代の傲慢で愚かな人間の発想は、シカを駆除し、囲いを設けて防御すればすべてが解決すると考えて、それを敵として排除することばかり考えて自分たち人間の過ちを振り返ろうともしない、そんな姿勢の先に豊かで温かな持続社会など、全くあり得るはずはなく、ますます人間は自然界の厄介者として、自らの首を絞め続けることにしかならない、そのことに気づいてほしい、方向転換しないといけません。
そして、鹿よけの厳重な柵で囲ったこれらの木々も、場所によっては大半が枯死しているのです。
愛のない方法で植樹しても木々は育つことはありません。シカ柵のなかの枯れ木、いったい何から何を守ろうとしているのか。
木々は、いのちの連携の中で支え合い、情報を交換し合い、生と死を繋ぎ合わせながら、生きているのであって、人間の都合で桜だけを活かそうとしても健全に育ってゆくはずはないのです。
どうしてそのことに気づかないのか、本当に、叫びたい思いに駆られます。
今ある木々を大規模に伐採し、そして環境に対する何の配慮もなくただ単に桜ばかりをまばらに植える、そして表土は流亡し続け、、いずれ豪雨の際に土砂崩壊を起こすことでしょう。
環境の劣化、国土の脆弱化は、こうした自然環境に寄り添うことを忘れた私たち現代人の姿勢に根本の原因があるということに気づかされます。
杉の人工林が経済価値をなくし、そしてそれが安易に大規模に伐りはらわれて、今度は桜のみを植える、環境や、他のいのちに対する何の配慮もなく、この、自然から学ぶ場所であり続けた吉野山で大規模に今も行われているのです。
この状況は、かつて国策で行われた拡大造林、そして現代のメガソーラー等と同様に、天地人に対する畏敬を失った人心の行きつく果ての、末路の光景と言えるでしょう
戦後の拡大造林による人工林化を支えたのは、国の補助金とお金に目のくらんだ私たち日本人。
環境を支える広葉樹林を大規模に伐り払い、そして補助金目当てに次々に杉やヒノキばかりを植えて、そして外材流入による木材価格下落とともに、山が放置され、荒れていきました。
お金だけで集まる人は、お金にならないことが分かったとたんに去っていき、そして自分たちが蒔いたマイナスのタネに対する責任についても一切顧みることがありません。
そして今は、メガソーラーによる環境の収奪と破壊が、全国を席捲します。すべてはお金、そこには環境を守り継いできた先人への敬意もなく、子孫人類未来への愛情もなく、自分を活かしてくれる自然界に対する畏敬の念もない、その先に人心はますます荒廃し、いのちとしての幸せと安心から人はますます遠ざかってゆくのです。
今ある環境を排除して桜を植える、そんなやり方は、長い日本の歴史の中で、わずかな期間、浅はかな現代だけのやり方であって、かつての日本人の伝統的な方法とは全く異なるものであることを、伝えていかねばなりません。
自然への畏敬の中で人のあり方を悟る修験道場の地、そこで桜の名所となっていった経緯は今の浅はかな植樹とは全く異なるものだったのです。
代々、金峯山寺に寄進された桜苗を、生活上の木々の薪炭利用、木材としての間伐利用の後、わずかに空いた土地に苗木を植えてゆくにつれて、少しづつ桜が増えていき、いつしかこの地の山の名所となっていった、つまりは自然に逆らわず、傷めず、時間をかけてそんな環境が育まれてきたのです。
そんな過去に全く思いを馳せることなく、現代の浅はかな知識で環境に向き合って強引に求める環境を即座に作ろうとしても、自然はそれを永遠に受け入れることはないのです。
吉野山は日本人の魂の故郷、この地から、現代日本に問いかけていかねばならない、そんな思いでこれからも取り組んでいきたいと思います。
ワークショップ後、ゲストハウスでの飲み会です。
写真左は、僕らを信じて、大切な植樹フィールドをすべて任せてくれたダイワハウスCSR現場責任者の内田さん、そして右は、吉野町町会議員で代々山守の中井さんです。僕が心から尊敬する、本物の議員です。
人は、無私無念の志の共感の中で支え合い、大きな力となって時代を変えていくものと思います。
彼らや吉野の仲間なくして、私など何もできません。本当に、この地での活動で得るものの大きさに、ただただ感謝の念ばかりが沸き起こります。
吉野山でいつも利用させていただくゲストハウス三奇楼にて。
吉野の皆様、そしてここでの活動を共にしてくれる方々、楽しい時間を共有してくれる方々、本当にありがとうございました。