庭・街・風景に思う

大地の再生講座 inちば      平成26年10月28日

 昨日、千葉市緑区の高田造園社有地にて、大地の再生講座(講師;矢野智徳 杜の園芸 NPO杜の会副理事長)を開催しました。
 週初めの月曜日だというのに、県外からも多数参加いただき、当初予定の20名定員をはるかに超えて、総勢30数名での、とてもにぎやかな屋外実地講座となりました。

 講師の矢野智徳さん。矢野さんはこれまでの長い間、現代土木工法の中で顧みられることなく閉塞させてしまった土中の気脈水脈を、本来の健全な状態に再生することを主眼に置いて、全国各地の山林農地、宅地における環境改善を手掛けてきました。
 6年前に山梨県の中山間地、上野原に移住し、その後は全国各地で大地の再生講座を開催しつつ、それぞれの地域が内在する自然環境の問題をえぐり出し、そしてその土地なりの問題に対応した環境改善に取り組んでこられました。

 矢野智徳氏の大地の再生講座開催は、千葉県では初めてとなります。しかも平日であるにもかかわらず、これだけの参加希望者が集まったのも、それだけ今の国土の現状や、自然環境を顧みない開発の在り方に疑問を感じ、真剣に学ぼうとされる方が非常に増えてきた、その証のようにようにも感じます。

 今回の講座のフィールドはここ、千葉県内によく見られる、放置された里山です。全体的に傾斜地で、上部の平地には畑と、40年前に開かれた小さな集落が点在します。
 斜面に残された山林はこうして、急斜面にはコナラを中心としたかつての里山利用の名残がみられ、緩やかな傾斜部分にはスギヒノキなどの植林地が点在します。放置されて久しい林内は総じて暗く、風通しが悪く、林床植物に乏しく、枯れ木や衰弱木が目立つ、不健全な山林がここ数十年、なおも増え続けているのです。
 まるで現代日本の経済成長の過程で打ち捨てられた里山の現状の縮図のような山林がここにあります。
 2年ほど前、荒れた里山再生利用の実習林としてこの地を取得し、そして今年に入って、ようやく山林整備と活用に向けて、いろいろと動き始めたところでした。
 
 利用されず、不健全化した山林農地の多くは高度経済成長期以降の大規模宅地開発の圧力に飲み込まれ、そして私たちの身近な生活空間から、日常的に感じることのできる本来の自然環境が次々と失われ続けてきました。
 それはそのまま、人が本来心の中に握りしめて生きてきた、美しいふるさとそのものを、まるで大きな爪ではぎ取られるように失われることを意味します。
 私たち多くの日本人は気づかぬうちにこうして大切な心の原風景を失い続けてきたように思います。

 そんな中、千葉県内では今、荒れた里山を再生し、本来の美しくのどかな千葉の自然環境を取り戻そうと、様々な市民活動が活発に展開し、それぞれの方法でボランティアによる山林整備が行われています。
 今回の講座開催の目的は、千葉の里山自然環境の問題を明らかにし、今後どのような視点で荒れた山林農地などの身近な自然環境を再生してゆくべきか、その大きな指針を定めるべく、千葉での大地の再生講座開催に至ったのです。

 こうした山林の地表は、表土がむき出して土が露出している箇所が数多く見られます。
 森が本当の意味で健康であれば、地表はふかふかの腐葉土が覆い、そこに木々の細根が張りめぐらされて腐葉土や落ち葉と絡まり、さらには下草が進入して表層を安定させて、急斜面でも土壌が浸食されない状態が形成されます。
 最近はこうした林床風景が多くの山林でごく当たり前の風景となってしまいましたが、実はそれは本来の健全な姿とは言えないのです。
 こうした地表の不健全な様相は、実は地下の水脈気脈の詰まり、いわば大地の呼吸不全に起因すると矢野さんは断言します。

 斜面林を下りきるとそこは、かつての小川が落ち葉や落ち枝、ヘドロに埋もれた泥沼となっています。そこに覆いかぶさるように、斜面林下部の木々の枝がひょろ長く張り出し、それがまたこの地の風通を停滞させます。

 もともとここには、千葉の独特の原風景の一つとなる山間の谷津田が広がり、清らかだった小川にはメダカやドジョウ、イモリにカエル、ホタルなど、たくさんの生き物にあふれていたと地元の方が言います。
 耕作放棄され、そして里山利用もなされなくなってからの数十年で、小川は泥に埋もれ、生き物にあふれた里山は、生き物にも乏しい不健全な様相へと変貌していったのです。

 この山林の不健康の原因は、斜面林最下部の小川の滞りから生じる地下水脈や気脈の停滞にあると矢野さんは断言します。

 最下部の小川が停滞し、ヘドロ化することで、斜面林に血管のように張りめぐらされた水脈が停滞します。水脈が滞ると、土中に空気が吸い込まれなくなり、土中の生物相が呼吸不全を起こし、劣化していきます。土中に水脈の動きが戻ると、ストローの吸い込みのようにそれに伴って空気も流れ込み、木々は細根を発達させ、そして活性化した土中生物相が多様化、健全化してゆく、そのためには最下流の泥沼の水の動きを健全化する必要があります。

 そこで今回、この小川の再生から作業が始めます。

 木々や森の不健全性を判断する際、私たちのように樹木を専門的に扱う者はつい、木々を取り巻く光環境や生物相、表層土壌、水はけといった、いわば目に見えやすい部分ばかりを中心に考えてしまいがちです。
 一方で矢野さんは、自然環境を読み取る際、その環境を作るファクターを以下の4つに集約して考えます。
 1つ目が土壌、地形、地質といった大地環境、2つ目が動植物相や人の生活といった生物環境、3つ目が空気や水の動きといった気象環境、4つ目は自転、磁気、重力、太陽、月の引力といった宇宙エネルギー環境、これが矢野さんによって集約された、自然環境を決定づける4つのファクターです。

 そのうち、地上の環境要因は大地環境、生物環境、気象環境の3つのファクターしかなく、今の自然環境の問題がどこに起因するか、このファクターに照らして丁寧に見ていけばおのずと読み取れます。
 
 今回、斜面林の再生と健全化のために、最も大切で根本的な作業が、一番下の小川の泥のくみ上げにあると判断したのです。


 
 まずは泥に埋もれた小川に散乱する枯れ枝などを流れの周囲に並べていきます。そしてそこにくみ上げた泥をかぶせていきます。
 それによってくみ上げた泥は小川に再びに流れ込みにくくなり、同時に枝葉の隙間から空気が入り込みやすい状態が作られることで、くみ上げた泥の生物環境が改善され、川岸の表層が安定してくるのです。

 こうした細かな配慮を何気なくこなす偉大な知恵、しかしながらかつて自然と向かい合って生きてきた先人たちは当たり前にそれを活かしてきたのでしょう。
 私たち人間ははたして進化していると言えるのか、自然環境を向き合えば向き合うほど、そんな疑問が生まれます。

 周囲の草も低く刈りすぎず、ちょうど風が吹けば均等になびくように、上部の重い葉先の部分を、風が払うように刈り取っていきます。
 本来自然界ではその仕事を風の流れが自然に行い、おのずと調和のとれたおとなしく健康な表層の状態を作り上げている、それに倣うように人がしてあげることが大切と言います。

 風道を通すための木々の整理も、あくまでやりすぎず、一つ一つ枝を振るってなびき方の違う枝先の重たい部分を取り払っていきます。
 水や風の働きを熟知する矢野さんの動きに、参加者みんなの目からうろこが落ちていきます。

 今回の講座には、造園関係者も10名以上参加されましたが、今回の矢野さんの手入れの思想や方法には、誰もが驚きと共に、実感を持って納得していきます。

 私自身、環境改善を主眼に造園を続けてゆく中、人にとって本当に心地よい環境は地上にも地中にも風と水が滞りなく流れ続ける環境にあり、それはすなわち多様な植物動物たちにとっても心地よい環境であることに行きつきました。
 しかしながら、矢野さんの存在を知り、その考え方や実績に触れるにつれて、私がこれまで主に庭を通して手掛けてきた環境改善とは、どちらかというとまだ、人の側の都合に重きを置いた環境改善であったことを反省させられます。

 泥をさらうと水量は一気に増して、まるで沼地に溜まった膿が一気に湧き出して流れてゆくようです。斜面林の下の小川、そしてそのほとりに田んぼが広がっていたかつての里山の暮らしの風景が、小川の再生作業によってみるみる蘇ってきたような感触を覚えます。

 流れの泥をさらうだけでなく、5m程度ごとに深みを作っていきます。本来自然の流れには水流によって適度に深みが形成され、それによって水の流れが加速せず、均質な速度を保つよう、実に微妙なコントロールが自然となされているのです。その作業をまた、人間が補います。

再生した小川に十分な深みをとってゆくため、急斜面に道を整備しながら重機を通していきます。
 土留めには倒木の丸太を使い、傾斜を調整していきます。腐りかけた丸太でも、芯の部分は強く腐りにくく、道の土留めには十分に活躍できる資材が山には溢れています。
 すべて、現地で材料を調達し、持ち出さず、あるもので作ってゆくのです。

 道の路盤には枝などの有機物とかぶせる土とのバランスをとって表層水が浸み込んでゆくように重機で直しつつ、ゆっくりと斜面降りていきます。
 この、ゆっくり作業することが自然環境にインパクトを与えない重機の扱いの大切なポイントと矢野さんは言います。
 重機の力はゴジラのように、使い方によっては自然環境を破壊し、一方で繊細に使ってゆくことで自然環境を再生してゆく大きな力にもなるのです。

 道の周辺の木々はなるべく伐らず、掘り取った株は道の谷側に植えつけていきなががら、植物の根によって道を補強していきます。

 急斜面を重機が下りると、かつてこの山の下部にあって今は埋もれてしまった道があっという間に再生されていきます。

 作られた山道は風の流れが一変し、心地よい空気の通り道が、閉塞感のあった林内に生まれました。
 
 よく、登山道が人の踏圧によって浸透性が低下し、水の通り道となってしまい、道が浸食されてゆく光景があちこちで見られますが、表層水の浸透と加速度をつけない水の逃がし方に対する細かな配慮がなされれば、重機が通るようなこうした山道でも雨水によって浸食されることのない、健全な道が作られるのです。

 重機を斜面林の最下部まで降ろしたところでお昼です。
 お昼は近所の方々や友人の農家から調達した野菜にお米、そしていただいた猪肉を煮込んだ猪鍋と、盛大な炊き出しとなりました。


 
 おいしい食材に薪焚きのご飯に猪鍋、新鮮で安全な具だくさんのお味噌汁、マクロビオティックの尾形先生によるとてもおいしい玄米ご飯と、こうしたイベントの醍醐味は食事にあります。

 高田造園の自然農園も、9月に土中水脈の改善を施した後、肥料もまったく施さないにもかかわらず、見事な生育を見せています。食べきれないほどのこの野菜たちも今日の料理に活躍です。
 水脈改善の効果は非常に短期間に目に見えて実感されます。こうした考え方が実際の社会環境つくりや自然環境の保全に活かされれば、日本の自然環境も、人の心も大きく変わってゆくことでしょう。

 昼食後、トイレがまだないこの山に、急きょ簡易トイレを作ることになりました。そこにある植物資材を用いて壁や屋根を作り、そして土中に還元されて分解される、バイオトイレがみるみる出来上がります。

 簡易 トイレの完成。用を足した後、腐葉土をぱらぱらまぶせるだけで分解が進み臭いもしません。風を通せば何も問題が起こらないと矢野さんは言います。
 そして、そこにある材料でこうした設備が次々と整っていく様子にみんなの心が躍ります。

 たった一日の作業が終了すると、じめじめと鬱蒼とした環境が一変し、風が抜け水音が心地よい、快適な空気感へと変貌したのをみんなが実感し、感動に包まれます。
 今回、この斜面林の肺とも言うべき、下部の水脈を再生することによって、この森は急速に健康を取り戻してゆくことでしょう。それはこの、明らかに変貌した空気を感じることで確信を持って時間されます。

 学ぶということ、それは実感と感動を持って理解してこそ、本当に自分の血肉となって人生を変えてゆくものになりうるものです。
 そしてそれが、今の偏った社会を健全な形に変えてゆくことに繋がる、そうした希望を持って今後も日々学び続け、そして活かしていきたいと、心に誓います。

 そして講座の翌日となる今朝、再び小川へ降りてみると、驚きの光景を目の当たりにします。整備した箇所のさらに上流部、泥沼だった箇所に3本の流れの筋が生じ、それが合流して昨日整備した水脈へと、停滞していた水が滾々と流れ込んでいたのです。
 この沼地の下流部を整備して水脈を再生したことで、今回整備の手が届かなかった上流部まで、自然の力で水脈が復活していたのです。
 
 自然の再生力、たくましさに息をのみ、そして立ちすくみます。自然は自ら自立して、全ての流れを健全な形に整えようとする、それを育む要因の多くは人の所作にありますが、それもよくよくきちんと自然との対話を取り戻していき、そして付き合い方を考え直すことで、思った以上に小さな力で変えていけるのではないか、この光景がそれを感じさせてくれました。

 矢野智徳氏、私は自分の道の途中で矢野さんを知り、惹かれ、そして出会い、学び、今後連携しながら共にやっていくことを約束しました。
 造園を通して環境つくりに取り組み、その先に見えてきた世界があります。そして、この人からとことん学びたい、吸収したい、そう思える人がいるということほど、幸せなことはないかもしれません。
 その素晴らしい機会がこうして与えられたことに、この山に感謝し、人に感謝し、全てに感謝する想いが自然と沸き起こります。

 真剣に、真摯に自分の道を追及していけば、自分がなすべき役割はおのずと与えられます。それもまた、ちょっとしたきっかけで自律して再生し、調和を取り戻そうとする自然界のシステムを目の当たりにして、その一員である人間の役割も、自然の中でおのずと与えられるもののように感じます。

 今回の講座開催に多大なご助力をいただきました地元の皆様、仲間、そして千葉での矢野さんの講座実現のために力添えくださいました方々、一生懸命作業してくださった参加者の皆様、本当にありがとうございました。

 

株式会社高田造園設計事務所様

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