庭造り

40代の終わりに  2019年8月29日

 

 大変久しぶりの高田造園ブログ更新です。更新を楽しみにされていた皆様お待たせいたしました。

 私事でございますが、本日が、高田造園設計事務所代表高田の40代最後の日となります。
 ここのところ、私たちが始めた環境活動のためのNPO法人、地球守サイトのブログ投稿に力量の比重を移すあまり、雑木の庭つくり日記の更新が大変滞ってしまいました。

 もともと、「雑木の庭つくり日記」は、私の庭つくりの想いをここに綴り始めたのですが、時代も変わり、その中で自分の果たすべき役割も変わっていきます。
 これまで、素晴らしいお客様はじめ縁のある方々に支えられて、素晴らしい人生を楽しむことができました。年を経るにつれて、自分を活かしてくれた天、地、社会、人の限りなく温かなご恩にどう応えてゆくか、生き方において、自分の身の回りのこと以上にその比重が増してゆくのが、本来の人の歩みなのでしょう。
 これからも依頼してくださる方々のご要望にできる限りお答えしていきたいと思いつつ、限りある時間です。
 これからは、未来の環境、国土、人、子供たち、いのち、にとって、価値ある仕事にさらに絞って集中していきたい、そう思っております。そのために、培ってきました私の稚拙な造園技術や感覚を活かしていければ、それはそれで幸せなことだと思いますが、未来へのまなざし温かく、生き続けたいと思います。

 

 今年の盆休み、夏の定例山行は10年ぶりの月山でした。美しく、優しく、そして限りなく温かな霊山です。

 月山山麓、庄内平野に続く梵字川出合の風景です。
最上川、赤川と、庄内平野を潤す河川は月山に発します。

 月山の霊地であってかつての山岳修験の地、湯殿山への旧道沿いに、森敦の小説「月山」で知られる注連寺があります。
 ここに、江戸期、庄内地域はじめ東北関東一体に赴き、衆生救済に心身をささげて尽くし、神とまで呼ばれた木食行者(もくじきぎょうしゃ)、即身仏となられた鉄門海上人が祀られております。

 かつて、大規模な土木造作は仏門行者が行いました。河川、道路、田畑、水路、井戸大規模建築に至るまで、土地を安定させて未来永劫に豊かで安全な暮らしの土木造作は本来菩薩行だったのです。
 なぜ、土木がお坊さんの役目だったか、と言えば、それは彼らが自然の摂理をわきまえていたからでした。
 道路を通すのにも、自然に対して畏敬を抱かず、人に対して慈愛を持たず、ただ自己の都合に目が眩む世の常人が、大地を自己の都合で大きく造作しようとしたら必ず、いつか自然のしっぺ返しを食らいます。
 その点、日本古来の神仏習合の営みの中で培われた仏門行者は、人の都合を自然環境の営みの中に溶け込ませる頃合いをよくわきまえていたので、彼らには常に、道筋が見えていたのでしょう。無我の境地で、ただ天地人への無限の慈愛の中で、神仏と一体になって、衆生のため、生きとし生けるすべてのいのちの営みと調和する人の営みのため、土木事業に打ち込んだのです。

 鉄門海もそうでした。あちこちに赴き、道をつくり、河川を治め、疫病を治め、豊かな暮らしの環境の調和のために、庄内平野にとどまらず、東日本一帯の村々を訪れ、持てる力を尽くして回ったのです。

 注連寺の裏山墓地に続く参道の一角に、鉄門海上人の石碑がひっそりとたたずみます。石碑に、「木食」(もくじき)の、字が刻まれます。木食とは、五穀を断って山草や木の実、木の皮だけを食らう、そんな生活を何年もつづけた末に、いよいよ死期が近づくと自ら土中へと入るのです。
 即身仏となり、未来に自らの入定のままの肉体のカタチを保つことで、人々を救済する、このことに対して理解できない人もいることでしょう。
 しかし、苦しみ悲しみを乗り越えて導かれる多くの人が、即身仏を目の当たりにして手を合わせ、あるいは涙を流し、心を洗うのです。
 このありがたさは筆舌に尽くせず、確かに未来永劫の衆生を救い続ける存在へと昇華した、そういうことにわずかな違和感すら、私は感じないのです。、

 ここは本明寺、本明海上人が土中入定して即身仏になられた場所が、入定塚として今も祀られています。
 鉄門海上人はこの、本明海上人の生死に打たれ、それが彼の生死のあり様に結びついていきました。

 僕から見ると、土木技術者鉄門海上人の生き方死に方、泣けるほど理解でき、惹かれます。
 本来土木は菩薩行であり、いのちの世界の喜ぶ仕事、それゆえに、この行に携わる人は限りない天の祝福を受けて喜びの中で育ってゆく、そして無私の心境の中で周囲を幸せにし、自然界の調和の中に溶け込ませてゆく、それが菩薩行ゆえんなのでしょう。

 僕は、こういう生き方を通していきたい、50代を目前にして今、そう思います。

 

 今日からまた、新たな工事に着手しました。鎌倉の水脈の要、扇ヶ谷の新規住宅開発地の造園および環境再生工事です。
 今、僕の仕事にいわゆる造園工事はありません。環境がこれほど痛んでいる時代、そのことを知りながら、打つ手があるのにやらない、という選択肢はないのです。

本来、山際から湧き出す清冽な水を使いながら守り保つ、それが、こうした場所に住むものの役割であったはずです。
 今、こうした箇所の住宅開発の場合、宅地造成関係法令などの制約によって山際にこうしたコンクリート擁壁と落石防備柵が設置されてしまいます。
 それがこの、山のキワという、水脈上大変重要な場所にそうした重量構造物が設置されることで、裏山の環境は一気に変わり、一年で見る影もないほど荒れてしまうのです。
 湧水は留まり、木々は傾き、山は保水力を失い、危険を増す。これが自然の摂理を無視した現代の土木建築なのです。
 

 庭の造作よりもまずは、擁壁によって呼吸の止まってしまった山の呼吸を回復する、そのための山際の掘削からかかるほかありません。

 山際の掘削が進むにつれて、本来の山からの冷気が復活してくるのを皆が感じるのです。

 庭の整備はその後です。
まずは、現代の過ちによって傷めてしまった周辺環境の根本から、その呼吸を取り戻すことから始めなければなりません。
 
 空気の流れが変わる、そのことはすぐに実感できます。そして、空気の動きが変われば水の流れも変わります。空気も水も、感じようとしない限り見えない世界のことです。
 私たちは見えないもの、実証できないもの、それらをあまりに無視してすすんでしまった挙句、人間も環境も育っていかない、劣化する一方の破滅的な状況を招いてしまいました。
 そんな時代だからこそ、気づく人のエネルギーがこれまでになく高まっている、そんなことを感じる人が今、ますます増えているのではないでしょうか。

 日々、喜びの中でこの仕事に向き合い、この喜びはどこからくるのか、そう考えると、大いなるいのちの源泉、人間としての根源的なものからくるように思えたのはそれほど昔のことではないように思います。
 もう、あと少しで50歳になります。
50歳と言うと、若いころは自分がそんな年を迎えるなんて想像もつきませんでしたし、年取ることへの抵抗感をつい最近まで感じていたように思います。

 でも、今は違うのです。付き合う人たちも、見える世界も、今が一番と思えます。そう感じながら年を重ねることができれば、それは本当に幸せなことともいます。年を重ねることに喜びを感じる、これからもそう生きてゆくための姿勢を保っていきたいと思います。
 
 天から課せられた役目とともに、生き続けたいと思います。

 もっと書きたいのですが、、今は22時、明日も早朝から現場に行かねばならないので、このくらいにします。

 さようなら、今生の40代、最高でした。まだ見ぬ50代も、全力で生きて奉仕したいと思います。
 ありがとうございます。

 

 



株式会社高田造園設計事務所様

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