山行・旅

中央アルプスを駆け抜けて 平成22年8月7日

 つかの間の夏休み(第一弾)、3日間の山旅から帰ってまいりました。山は淀んだ頭をクリアにしてくれます。今回の山行は中央アルプスの山々をめぐり、心身を活性化して帰ってきました。

 木曽山脈こと、中央アルプスの入山ルートは伊那谷側と木曽谷側との2方面があります。今回、伊那谷側からロープウェイで一気に標高2600mの千畳敷カールまで上がりました。遠い昔、氷河によって削り取られた広大なU字型のくぼみ地形をカールと言います。8月初旬は、高山植物の開花最盛期です。

千畳敷カールの草原を覆うチングルマの花です。

登山道沿いには、点々とクルマユリが咲いています。

草原一面に黄色い花の群落を形成していたのは、シナノキンバイです。

 この日は中央アルプス屈指の岩峰、宝剣岳を目指します。

日本アルプスの高峰の中ではロープウェイで山頂直下まで気軽に来られる山ですが、ここは標高3000m近い岩山です。空気も薄く、息を切らしながら急峻な岩場を抜けていきます。

宝剣岳の山頂です。左の急峻な岩の裏側に小さな祠があります。午後の夏山は雲湧き生づるところです。

雲の中の真っ白な世界に視界が閉ざされても、その数分後には雲は流れて、遠く山並みや下界の街まで見渡せる、この日常離れした感覚。これも雲湧き生づる高所ならではのものです。
 この日は稜線上、標高2900mの高所の小屋に一泊です。

 翌日、日も明けぬうちに稜線上の山小屋を出立します。ご来光の神秘的で静謐な時間を山上で迎えるためです。雲海のかなた、東の地平線が徐々にオレンジ色に広がりつつあります。

 夜明け前の青の時間。何と神々しい世界でしょうか。雲海も空も、そして山々まで青く透き通る世界に染まっています。
 古代から人を寄せ付けずに神の世界とされてきた高山の峰々では、このような荘厳な夜明けの営みが、太古の時代から変わらず続いてきたのでしょう。
 
 夜明け前の雲はまだおとなしく、息をひそめたように、そして絨毯のように下界を覆い尽くしています。雲間に浮かぶ山々はまるで大海の島のようです。

 山上の日の出の瞬間です。自然と手を合わせて合掌します。何気なく過ごしてしまいがちな毎日というものが、一日一日ごとにこうして、天と地の祝福を受けて与えられているという事実、この荘厳な瞬間に立ち会うことであらためて感じます。 
 与えられた毎日を粗末にすることなく、天命を全うしなければ自分の命に対して申し訳ない、そんな思いを感じます。

 山上で迎える日の出の瞬間、ほんのわずかな時間、長い空気の層を通過して届いた朝日に照らされて、山々はバラ色に美しく染まります。 これをモルゲンロートといいます。夜明け前後のほんのわずかなひと時、だからこそ心洗われる瞬間になります。


そして間もなく、名峰 木曽駒ケ岳山頂に着きました。

 中部山岳が誇る、木曽山脈の名峰、木曽駒ケ岳山頂には2つの神社が祀られていました。一つの山頂にこうして2つの神社が安置されているケースは私の知る限り、珍しいのではないかと思います。
 2つの社殿はそれぞれ、伊那谷側の集落、そして木曽谷側の集落双方によって、木曽駒ケ岳自体を御神体として崇め祀られたようです。
 この名峰を挟んで双方の谷あいの集落それぞれが、この山を神として崇め敬っていたということです。

 日本の山岳というものは昔から、山自体が神の棲家であり、神自身であるとして畏れられ、 信仰の対象とされてきました。
 人の集落から仰ぎ見る天空の峰々は神の世界であり、そしてこうした山々は修験行者によって開かれてきました。この木曽駒ケ岳山頂には中世末の西暦1500年代には既に、山頂の神社が建てられていたと言います。 
 
 雲上の祠に手を合わせ、そしてこの山上の世界に身を置いて自然と人の真理を体得しようとした古来の修験行者に想いを馳せるのです。
 四国88か所をめぐる時、一人で巡っても「同行二人」、という話があります。弘法大師が廻った道を、弘法大師の心境に想いを馳せながら、弘法大師と共に歩くということ、それがお遍路というもののようです。
 
 人というものは、「想いを馳せる」、あるいは「想い遣る」という、素晴らしい特質があると思います。時に動植物と一体になり、そして時に、先人と一体になる。
 雲上の祠に身を寄せて、神々の世界に臨んでいると、様々な世界に心がどこまでも飛び回っていくようです。

山頂から望む雲の海です。

山頂直下から見た、延々と続く中央アルプスの稜線です。

 山頂から稜線上を木曽谷へと下っていきます。ここはまだ森林限界の上、地表をハイマツ絨毯のように覆っています。

ようやく高木が点在するところまで下りてきました。中部山岳の森林限界周辺は、ナナカマドやダケカンバのようなパイオニア樹種と呼ばれる、切り込み隊長というべき木々が点在します。

そして、さらに下りてゆくと、シラビソ、オオシラビソ、コメツガといった亜寒帯性の針葉樹林帯に入ります。

 高山の厳しい環境で生き延びる木々、寿命尽きて白骨化した枯れ木の下では、次世代を担う若木たちが出番を待っています。
 健全な森はこうして、その気候の中で世代交代を繰り返しているようです。

 中山道の要所、福島関所のある木曽福島に下山しました。そして旅の締めくくりが、この地が生んだ中世の英雄、木曽義仲公のお墓参りです。興禅寺にあります。
 この木曽福島という地は江戸時代、中山道の重要な関所を有する宿場町として、あるいは木曽ヒノキなどの銘木を産出するが故の幕府直轄地として栄えてきました。こうして古来から大切に育てられてきた木曽の森林は、明治以降は戦前まで、御料林として皇室直轄の森となり、この美林が守り育てられてきました。
 また、近代には文豪島崎藤村の姉の嫁ぎ先である高瀬家も関所のそばに残り、その高瀬家は藤村の小説「暗夜行路」や「家」の舞台となりました。

 山旅の最後を締めくくるのがその土地の歴史探訪です。

 そして、この興禅寺の境内には昭和の庭園研究家で巨匠、重森三鈴氏作庭の庭がありました。看雲庭といいます。土塀で囲まれた空間には草木は一切なく、雲の模様をあらわすラインと島々のような岩があるばかりです。周囲の山並みが借景となって、中空の雲と対峙しているようです。
 山上の世界から降りてきた私には、この庭は雲海に浮かぶ峰々のように見えます。

 旅をすると、さまざまなことを考えます。普段の生活ではなかなか見られないさまざまなものを見て、知らない世界に出会い、歴史や風土や自然に触れて、そして、日常から解放された視点で見る世界は新鮮です。
 しかしながら、旅先で感じたたくさんのことを消化しきれないうちに、日々の暮らしに戻ってしまいます。

 山を歩くたび、いつも思うことですが、人の一歩の歩みというものは本当に小さいものです。しかし、小さい一歩の積み重ねが、大雄峰を超えてはるか先の世界にまで導いていきます。
 小さな一歩、しかし日々、弛まずに小さな一歩を積み重ねて生きている人と、小さな一歩すら厭う人とでは、得られる世界が全く違ってくることでしょう。
 さて、自分も立ち止まってはいけないと思うのです。日々小さな一歩を積み重ねて、自分に与えられた天命を全うできますように。
 惰性に流されがちな自分、山をめぐり歴史と対話することによって、新たな自分を再生しようとしています。

 ちょっとのつもりが長いブログになってしまいました。最後に、木曽駒ケ岳山頂から見た雲海に浮かぶ大雄峰の写真で終わりにします。雲海はるか彼方、左に浮かぶ峰が木曽御岳山、その右に乗鞍岳が望めます。

株式会社高田造園設計事務所様

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